自分の辿る道

マンスリー更新のこのブログ、どんどん更新頻度が上がってきているためにそろそろ毎日更新になるんじゃないですか?

いつしか輝いていたMEGWINTVのように自分も世界一毎日更新をした”ブログ”としてギネス世界記録に更新される日も近いのかもしれません。

 

しおていです

 

最近人と話す機会で諸々考えることがありました。

そもそも自分はなぜこれまで勉強をしてきたのかと。

大学3年生くらいはわからず、わからないためなあなあなモチベーションでこれまで来た気がします。

 

転機が訪れたのは去年大学4年生の時のこと。

俗にいう就職フィルターという就職での大きな壁が立ちはだかりました。

その時に初めて自分は勉強することへの大きな意味を感じ取りました。

 

今まで勉強してこなかった人からすれば、そんなフィルターを企業がかける必要は全くないと辟易するのが常だと感じます。自分も正直そう思いますが、実際のところ企業からしたら学力があることが一定の社会人としての資格の担保につながるのだと思います。

頭が良い=仕事ができる

頭が悪い=仕事ができない

といった方程式が必ずしも出来上がるわけでは決してありませんが、ある程度そういった傾向になるのだと思います。

しかしながら厳密に、頭が良い=仕事ができる、なのではなく

頭が良い=学力がある=1つの単位(科目)に時間をかけて集中して取り組んだ

=入社しても粘り強さを発揮してくれる=就職してもすぐ辞めるリスクがない

 

頭が良い=学力がある=正しい言葉遣いができる

 

頭が良い=リベラルアーツが身についている=礼儀正しくビジネスマナーに長けている

 

頭が良い=難問にぶち当たっても基本を応用して問題をたくさん解けた経験がある=臨機応変な対応をすることができる

 

ぱっと思いついたところでこんなところでしょうか。

頭が良いとこれらが一定以上担保されるのだと思います。

 

ただ、あくまでも傾向であり”イメージ”です。

”イメージ”前提で話しますが、勉強ばかりしてきた=友達と遊んだり人とかかわる機会も捨てて勉強に勤しんできた、という方程式も成り立つので対人関係に不安があったり人の前で流暢に話すことができない人も多いのではないかと思います。

 

話すことが多くなりましたが、自分は勉強をして頭を良くし良い高校良い大学に行くことの意味、ということがわかりませんでした。

 

生産性のない作業をひたすらこなし、テストの点数のためだけにただかわいこちゃんぶるだけの人生を送っておりました。

運良く、高校もまあまあ、大学もまあまあなところに行け、しまいには公務員という学歴フィルターが(全くではないが)かからない公務員という道を志したため、そういった苦しみに悶えることがありませんでした。

ただ、自分と同じように勉強し偏差値の高い大学に入学し卒業する=福利厚生の良い会社に就職できるためのほぼ確約的チケットを入手できる、といったことがわからず、なあなあと高校生や大学まで来てしまった人が多いのではないかと

もっというのであれば、勉強ってなにの役に立つのか、微分積分が人生の役に立たないと”わからない”ことから逃げ続けてきた人もいるのかと思います

 

ですが、微分積分が完璧にできる≒福利厚生の良い会社に就職できる

ことにもつながると私は考えます。

 

昨今のアジアは勉強できる=良い会社に就職できるという間違った方程式になってしまっています(微分積分ができることはもっと人間の根本的な部分で役に立つし、言葉を知ることは相手に感情を表現する際(人間な根本的な部分)に役立つ)が、先述の理由で優位になってしまったのです

 

自分が話を聞いていなかっただけなのかどうなのか、義務教育の場で、親の口から、塾の先生の口からそれを聞くことができれば、もう少し危機感をもって、モチベーションをもって勉強をし上を目指せたのではないかと後悔をしている部分があります。

だからこそ自分に子供ができたら将来後悔しないようにそういったことも公言していきたいなとも思います。

学歴コンプレックスといったものを抱える人たちの中にもそういった事情を知らずに大学を行かなかった人達も多かったと思うので。

 

最終的に何が言いたかったのかと言えば、目的を以って人に話をすることは重要である、ということです。

 

目的(ゴール)が分かれば人間は努力ができるし、目的がないままなんてモチベーションが続く人はほとんどいないはずです。

 

なので、私は人と話すとき目的を意識して話をしたいと心がけたいと思います。

 

そんなところな話でした

 

あとは論理的思考力がしおていさんは壊滅的なので、将来は子供にルービックキューブを持たせたいな